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【活用 具注暦No.5】中段の内容を解説(1)

2018.03.07

 日毎の記事の解説、続きます。上段に続いて「中段」の解説です。中段には主に季節の節目など、一年間を区切る事項が多く書かれています。「二十四節気」や「七十二候」といったものが書かれるのが、まさに中段の部分になります。

中段の内容

 

 具注暦の中で「中段」と呼ばれる部分を解説します。中段には二十四節気や七十二候といった季節の分かれ目や、雑節と呼ばれる季節ごとの暦注などが記され、主に季節的な暦注が内容の多くを占めています。

 中段の構成内容は、

 「二十四節気、

  七十二候、
  雑節

  六十卦、

  月齢(望・上弦・下弦)
  没滅など」

 です。以上は中国のオリジナルと同じ記載内容ですが、日本では平安初期に加えて、

 「除手足甲(てあしのつめをのぞく)

  沐浴日、」などが付記され、さらに「朱書」という宿曜道に依拠した暦注が追加されました。

 朱書などの解説は後続記事に譲り、まずは中国のオリジナルに準拠している部分を解説します。
 

↑具注暦の日毎記事の各部名称
[『貞和5年具注暦』5月11日記事。(師守記)]

具注暦の中段

『貞和5年具注暦』11月13〜18日記事。(『師守記/巻31』国立国会図書館デジタルコレクション)

  上は師守記の料紙として伝世している南北朝時代の貞治五年(南朝正平4)11月中段記事です。「望」や「水泉動(七十二候の一つ)」、「沐浴」「除手足甲」などが記載されているのを見ることができます。

以下、中段記事の内容を各説します。



二十四節気


 二十四節気は季節の分割法で、一太陽年(地球が太陽の周りを一回周る期間)を24等分したものです。

 

大寒や冬至などは現代でも、季節を分ける言葉として非常に馴染みがあると思います。成立の歴史などはウィキペディアのページに詳しく記載されていますのでそちらを見て下さい。


 二十四節気は「節気」と「中気」に分けることができます。24のうち12が節気で、12が中気です。節気は「立春一月節」、「啓蟄二月節」というように一月を区切り、節気と中気は交互に配されます。この二十四節気で分けた月を太陽年を基準にした季節上のひと月とします。これを「節月」と言い、暦注の定め方によく使用します。
 具注暦上の表記は「立春正月節」「雨水正月中」というように「二十四節気の名称+節(もしくは中)」と書かれています。

七十二候

 七十二候も二十四節気と并んで、現代でも季節の分かれ目によく聞く言葉かと思います。

  七十二候は二十四節気の合間を約五日ずつ、3つに分けるものです。

 具注暦では中段の2段を跨ぐように書かれています。しかし、現代知られている七十二候は江戸期の貞享改暦の砌、日本の気候合わせてに改変されたものであり、古代~中世に使用された中国の宣明暦で定められたものとは大きな差異があります。対照表の掲載は雑多になるため控えますが、Wikipediaの七十二候のページにございますので、そちらをご参照ください。

六十卦

 六十卦は中気の間を、さらに五分割する指標で、六日に一度挟まれています。

 

 易経に由来する「六十四卦」から四正卦を除いたものを組み合わせて成り立っています。(余談ですがインターネットで「六十卦」と検索しても暦に関する情報はほとんど出ていません。惜しむべきだと思います。)。

 易経由来というからには吉凶的な要素があるように思いますが、あくまで期間の分割法としてのみ活用されたようで、室町時代の暦博士・賀茂在方ですら『暦林問答集』で「(中略)故に聖人これを奥に蔵す也。文の大志深く、予の知る所に非ず、説くべからざるなり」と書き、説明を半ば放棄しています。

雑節

 雑節は二十四節気や七十二候以外に設けられた季節に由来する暦日のことです。現在、雑節とされているものとは差異があります。

土用

 具注暦には「土用事」と書かれます。土用は五行に由来する雑節で、四立(立夏・立秋・立冬・立春)の前の18日間にそれぞれ配置されます。暦の上で「土用事」と書かれるのはいわゆる土用の入りの日になります。五行思想の中では土用の日は「土」の気が盛んになり、「土が五行の主となる(暦林問答集)」とされ、ゆえに土を起こすような工事や穴掘りは忌むべきとされました。
 土用に対する貴族の意識の一例を『小右記』の記事に見ることができます。『小右記』寛弘八年(1011年)三月十九日条には、この前日藤原実資(『小右記』記主)の屋敷の垣が顛倒したため、壁を塗るべきかどうかを安倍吉平(安倍晴明の子)に問い合わせたところ「土用の間は土を起こす工事で無いにしても、工事は行うべきではない。また申の方向の事なので、大将軍がその方向に遊行する間に壁をぬるべきだ。」と答申した旨が記述されています。

 

社日

 

 社日は暦例に「其日命民祭土之日也」とあるように、土地の社を祀る日です。一年で春社と秋社の二回あり、春は「春分の日に近い戊の日」秋は「秋分の日に近い戊の日」が、それぞれ社日とされました。

臘日

 

 臘日は「ろうじつ(ろうにち)」などと読み、旧暦12月に配当される暦注です。古代中国で行われた「臘祭」の祭日で、「獣を取り先祖を祭り鬼神に報ずる(暦林問答集)」年末の祭でした。ただ、この臘祭は日本では行われず、臘日は季節あらわす暦注として浸透しました。日取り(選日法)は諸説ありますが、「平成三十年具注暦」では「大寒に最も近い辰の日」という説を採っています。

三伏

  三伏は「初伏」「中(仲)伏」「後伏」の三つの暦注の総称です。陰陽五行説では夏の庚の日を凶日と考え、夏季の三回の庚の日をそれぞれ初伏、中伏、末伏と呼びました。よってこの日は遠行や療病のほか諸事は全て慎むべき日と考えられました。

除手甲(てのつめをのぞく)・除足甲・除手足甲

 文字通りそれぞれ手や足の爪を切る日です。藤原師輔『九条殿遺戒』に「丑の日に手の甲を除き、寅の日に足の甲を除く」との記載があったり、『土佐日記』に「爪のいと長くなりたるを見て、日を数ふれば、今日は子日なりければ、切らず。」と書かれているように貴族社会では浸透し、尊重された暦注のようです。除手甲は丑の日、除足甲は寅の日、除手足甲は、暦日15日及び30日に配当されました。

望、上弦、下弦
 

 月齢です。望は満月のこと。これも吉凶を判断する暦注の一つであり、これら3つの月齢の日は軽い凶日とされました。ただし、暦例には「上吉と并べば、これ用いて妨げ無し。」とあり、上吉の日(歳徳・月徳・天恩・天赦の日)と重なれば凶日の妨げは無いとされました。

没、滅

 

 没・滅日は太陰太陽暦ならではの暦注なので、太陽暦を採った「平成三十年具注暦」には存在しないのですが紹介しておきます。没・滅日は太陰太陽暦において一太陽年と一暦年、一太陽年と一朔望月の数値上の齟齬を埋めるために置かれた日であり、この日は正式な暦日として認めないこととされました。暦例に「その日、暦余分、陰陽不足、勝日に非ず、ゆえに用うるべからず」とあり、日数をカウントする場合、没・滅日はカウントしかったり、年中行事や政務は控えられました。一例としては『玉葉』治承四年5月廿二日条に「そもそも今日の行幸、日次宜しからず、尤も不審を以て、今日滅日なり、今夜を過ごし明暁が宜しいか。如何々々」とあることが見えます。

 

 

※本文中での間違いや、ご質問などございましたら、コンタクトページ掲載のメールアドレスかTwitterアカウント(@simadu1123)までお寄せ下さい。

 参考文献

山下克明『平安貴族社会と具注暦』臨川書店 2017

大谷光男など『日本暦日総覧 中世前期1』本の友社 1992

湯浅吉美「日本古暦の様式について」『埼玉学園大学紀要〈人間学篇(13) 41-54〉』2013

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